関東の出雲さん、出雲大社相模分祠の由緒・沿革をご紹介します。

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由緒・沿革

由緒・沿革

◎ 沿革

出雲大社相模分祠は、明治21年(西暦1888年)に、島根県御鎮座の「出雲大社」第80代国造・千家尊福公の要請によって、当地累代の神職であり、報徳家であった草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのを創まりとします。

当初の御鎮座地は現社地から離れた渋沢峠でしたが、昭和50年(西暦1975年)に現社地に御遷座なさいました。
以来、御社殿の増築、さらに境内地を拡張し大規模な植樹を施す等、益々その尊厳さを増して今日に至っております。

◎ 御祭神

出雲大社相模分祠 ご祭神

出雲大社相模分祠 ご祭神

大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
合祀祭神28柱(兼務神社23社のご祭神)

大国主大神 (だいこくさま)は素戔嗚尊(すさのを)の御子神で御別名を、

大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)
八千矛大神(やちほこのおおかみ)
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)
大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)
農耕祖神(たづくりのおやがみ)
幽冥主宰大神  (かくりよしろしめすおおかみ)


…等と申し上げ、その御事跡は『日本書紀』、『古事記』、『出雲国風土記』で国土開拓の神、国譲りの神、または「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」の自愛の神として言い継ぎ語り継がれ、御利益に至っては商売繁盛の神、地鎮の神、農耕の神、医薬の神、子授けの神、安産の神、教育学芸の神、厄除けの神、八方除けの神等と人間生活の全般にわたる広大なものであって、このことから「国中第一の霊神」すなわち「天下でもっとも御利益のある神」と称えられ、特に縁結びの神としての御利益は、世にあまねく知られています。 


◎ 創設者・草山貞胤翁

出雲大社相模分祠 創設者・草山貞胤翁

出雲大社相模分祠 創設者・草山貞胤翁

むかし蒔く 木のみ大木と なりにけり
いま蒔く木のみ のちの大木ぞ

草山貞胤翁は、文政6年(1823)5月1日に、 秦野累代の社家の嫡男として生まれました。
幼少より学問を好み、国学を吉岡信之に、 漢学を岡田正治に、報徳学を二宮尊徳翁の 高弟・福住正兄に学びました。

翁は学究であるばかりでなく、胸に経世済民の志を抱き、郷土発展の方策とし、秦野煙草改良に熱心に取り組み、県内外各地を巡回、煙草の耕作法を指導し続け、全国の煙草栽培の技術革新に貢献しました。
今日、翁が「煙草の祖」と仰がれる所以であります。明治21年(1888)、当地に当分祠を創設して積極的に神道布教につとめ、明治26年(1895)、二宮翁の崇敬者によって小田原に報徳二宮神社が建立されるや、福住正兄の遺命により初代社掌に就任しました。
また、いち早く環境問題に着目し、各地で植樹を行いました。その後明治38年(1905)8月25日、83歳で帰幽しました。
翁の倹素質直の人柄は人々の敬仰する所となり、後年、緑白綬有功章・緑綬褒章を下賜されました。

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